CHALLENGE 2020.08.14
竹之内悠選手スペシャルインタビュー No.2
学生の頃から数々の戦績を収めてきたCXライダーでありMTBライダーでもある竹之内悠選手。チャレンジタイヤでシクロクロスに参戦して今年で5年目を迎えるこの日本のチャレンジライダーのエースと、その活動を共にする東洋フレームの石垣社長のこれまでの歩みを振り返ってもらいました。才能ある青年の葛藤や輪界で世界を目指す人々の弛まぬ努力や強い志を垣間見ることができる熱い対談をお届けします!
全3回でお送りする今回の記事ですが、第2回目は竹之内選手の近年のご活躍に焦点を当ててお話を伺います。レースにかける熱い想いなど、今回も貴重なお話を聞くことができました!
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2019年はマウンテンバイク全日本5位、驚いたのはロードの激しいレースで完走されたことです。
竹之内 悠(以下 T )
はい、がんばりました。
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長丁場でリタイア続出の中で、目を疑いました。あのレースはまぐれでは完走できないですし、持脚もあるし、今年は来るなとリザルトを見て思いました。
T
ありがとうございます。
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昨年の野辺山でもトラブルはあったんですけど、調子が上がってきて今年は来るなという印象があったんですが、ご自身はどうでした。野辺山から全日本にかけて。
T
ロードの時から調子良かったですし、その後の夏でいろんなところ、Eマウンテンの世界選手権行ったり、
高校生の研修授業に行ったりで、パフォーマンスが落ちることが多かったんですけど、マイナスのところばかり見てもしょうがないので。そこを休みとしてベルギーに行ったら結果も悪いなりに調子良かったんです。
年の功か、疲れの取り方や疲労を感じることができるようになってコントロールしていたんですけど、日本帰ってから時差があったりヨーロッパの疲れがかなりあったので、野辺山に向けて体を組み立て直しました。
あの時は新しいチタンのバイクを投入して。
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今のシクロクロスのメインバイクはチタン?
T
そうですね、TITANIUM HYBRID CX-Dを1台、HYBRID CX-Dを2台の計3台をメインに走っています。
僕の中でどのバイクもそれぞれ役割があって、レースもありますが新しい自転車を乗りこなして、より自転車を知ることに重きを置いたり。役割ってほどのものか分かりませんが。
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その時、新しいバイクと銘打って記事化されていたので、見る側としては興味を持っていました。
T
そういう興味を持ってもらいたくて。組み上がったのは2~3日前だったので正直乗り慣れなくて。チタンは柔らかいって言いますけど、これはめっちゃ硬いタイプで。社長がめっちゃ硬いタイプで作ってくれてるんで、1つ上のスピードで走らないとバイクがついてこなくて。
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初心者はでは乗りこなせない?
T
このバイクは僕仕様で製品版じゃないんで、これはちょっと難しいと思いますね。
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全日本は惜しくも2位だったんですが、前田公平くん強いですよね。
でも全盛期の竹之内さんならスプリントでは負けなかったでしょ。
T
全盛期なら勝てましたね。あの時も今年勝てそうやなって話を社長ともしていて、僕の中でもテンションがマックスになってたんで、勝つためには昔みたいにやりきったほうがいいんちゃうかなって社長とも話していて。で、練習で追い込んだら右足の古傷の肉離れをやっちゃって、プラス全日本の1週間前くらいに脛に出来物ができて。歩くのも痛かったんですけど結局本番でリミッター切ってしまって行ってしまったんですよ、火がついちゃって。でもこのコンディションだったんで全日本の時はあんまり。
言い訳みたいになるので嫌ですけど、見ていただいてる方に説明するためにレース後にブログでは書きました。
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くまなく見ましたよ(笑) 今の選手はSNSで済ます選手が多くて、レースの結果や心境を細かく文字として残すのはすごく大切だと思います。
石垣鉄也(東洋フレーム代表、以下 I )
それも話し合いがあって。僕は、言い訳っていうのは見られた方がどう感じるかで、自分がやっていることをちゃんと正しく伝えることが大切じゃないの、でないとファンの方に失礼じゃないのと。なので、ありのままをちゃんとお伝えしたんですね。当然否定されることもあるんですけど、それでも僕らにしかわからないことはレースの展開の中にあり、1時間のレースに挑むまでいろいろある中での、たったの1時間なんで、まあなんちゃことないんですけど。
僕らの中では、やりきれんかったなっていうのもあって、2位やから残念というのも、本人は優勝しかたかったていうのもあるんでしょうけど、僕はいいんちゃうのみたいな。
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竹之内選手が2位になった時の瞬間を見た時に同じ年の全日本ロードの新城幸也くんと被ったんです。
王者とされている人は、王者の走りをしないといけない。正々堂々していて、見ている側も気持ちよかったかなと。勝ちに拘るなら他の手段もあったと思いますけど。
I
それは絶対にやらならいですね。そんなことをしたら僕はもう。そもそもそれはダメだと思っているから。
辻浦と悠が勝負した時もそうなんですけど、最終的に僕らが思ったのは使ったホイールが違うんですよ。強い選手は硬いホイール使いますよね。結果論ですけど、昨年の全日本は足がしんどかったんやなと思いましたね。初めて悠がエリートで勝った時、辻浦のはハイトが低かったけど悠はハイトの高いのを履いていたんで走り切れたんですよね。やっぱりこいつ調子良かったんやなと。最後まで踏み切れたからこいつは勝てたんやなと。
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踏み切れたら絶対早いですよね。
I
そうなんですよ。最後踏み切ったんで勝てたんでしょうね。でも、前の日に辻浦と悠が一緒にタイヤ張ってるんですよ。
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面白いエピソードですね。
I
悠がパンクしたんですよ。タイヤ張ってもらえませんかって、お前今からかよみたいな (笑)
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ファンにとっては、すごく面白いです(笑)
I
長澤さんもトム・リッチー※1もそうですけど、彼らは世界のマウンテンバイクを引っ張ってたんですよね。そういう人たちがその時どういうことをしてたかって、僕その場に居て見れたんですよね、フレームを作ってたんで。当時トーマス・フリシュクネヒト※2がアトランタオリンピック行くってなった時に1ヶ月くらいで2台作ってくれってなったんですよ。塗装もして送ってくれって。今まで塗装はしなかったんですけどね。「お前らのこと信用するから、時間もないし作ってくれ」って言われたりして。それをやったらメダルを取ってくれたという経緯があったんですよ。
フリシュクネヒトはスイス人じゃないですか。リッチーはカリフォルニア人で基本的にヨーロッパではカリフォルニア人は受け入れない時代ですよね、その頃は。でも人間性のおかげでリッチーはヨーロッパに入り込めた。フリシュクネヒトがリッチーにお世話になってた。で、リッチーが彼を受け入れた。そしてカリフォルニアでチームリッチーを作って、まだリジットバイクをやってた頃に僕もフレームを作らせてもらって。
ヨーロッパでもマウンテンバイクだってなった時に、一気にヨーロッパで広まったんですよね。それで、ワールドカップでもフリシュクネヒトが強いってなって、まだオリンピックの前にそういう世界を仕事で見れたんですよね。
その時にリッチーヨーロッパに居たのがKHS USAから来たモーガン※3というアメリカ人。リッチーからモーガンを紹介されて、KHSのフレームをお前作ってやれって言われて2年くらい作ったんかな。KHS USAのリッチーモデルを。そうしたらモーガンがいつの間にかリッチーヨーロッパの社長になってて。フリシュクネヒト全盛期にその活躍を支えてたのはモーガンだったんです。僕はモーガンには助けてもらってたんですよね。リッチーのわがまま、フリシュクネヒトの人の良さをモーガンが噛み砕いて僕に色々ああやってくれ、こうやってくれって言ってくれてた時代が3~4年続いたんかな。
フリシュクネヒトはスイスで元々シクロクロスの選手だった。それをマウンテンバイクもやりたいからって言って、アメリカにリッチーと飛び込んで、またスイス帰って、そうしたらもう一回フリシュクネヒトがシクロクロスやりたいって。僕はもう日本でシクロクロス作ってたから、リッチーがお前シクロクロスやってるからわかるやろって、で僕作ったんですよね。
そしたらそれで、世界戦で銀メダル取ってくれたんですよ。リジットでフラットハンドルのやつ。リッチーもシクロクロスなんてわからないから、フリシュクネヒトと直接話してやれって時に、間に入ってたのがモーガンだったんです。
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すごい貴重な話ですね。
I
それが当たり前の世界、レースの世界ってそうゆう世界なんだって長澤さんから教わり、そして実際こうやって世界で勝負するんだっていうのが目の前で起こってた時代だったんですよね。
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だからこそ適切な指南が竹之内選手にできたと。
I
そうそう。世界を目指すんであればね。だから僕と一緒にやってなかったら、悠はすごく稼いでいたと思います(笑)それでも人生ってそれが幸せなのかってなるじゃないですか。だから死ぬ時に、僕が長澤さんから教わった話は、えらい極端な話ですけど、人間生まれた時から死に向かって生きてるんやと。だから、死ぬ1時間前に自分の人生が楽しかったって思える人生を送れと。そういう世界に生きてるから、そういう人たちって世界を獲るんですよね。世界を獲ってる人たちって、目先のお金ではあまり動かない。どちらかというと自分たちが勝負する時の環境をどうやって作るかというのを常に教えてもらっていたというか。僕が長澤さんに言われてたのが、一つでもええから、一つだけでも何かに長けろと。そうすれば、アホでもなんとか生きていけると。そう言われた時にシクロクロスやりますって言ってやりましたね、あとマウンテンバイクと。だいぶ昔の話になりますけどね。
世界戦にメカニックとして行った時も、初めて行った時このチームで勝負できないなと思ったんですよね。面白くないなと。まずミーハーやったな。横にベルギーチームがいる、となるとみんなそっちばっかり気になる。こっちはそんなん全然気にならないから、邪魔やったらどけとかも言えるし。朝早く行くと、メカニック同士で話するじゃないですか、そうすると酒とか出てくるんですよ、寒い地域やから。それを飲むと次の日からスッと友達になれる。困ったらなんでも言ってくれ、今日ここ通りたいから空けてくれとか。そうゆう戦える環境を作るのが僕らの仕事じゃないですか。
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世界選手権は何年くらい行かれましたか。
I
5年くらいかな。
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聞くところによると全部、石垣さんの持ち出しで行かれたそうですが。
I
そうですよ。僕にしたらそこで彼らと一緒に世界で勝負できるってことじゃないですか。それがすごい楽しくて。ただ、勝てないですけどミーハーな旅行しに行ってるわけじゃないんで。スタッフだけなんで、旅行しに行っているのは。だからいつも行くとスタッフとの喧嘩が始まるんですよ。それを選手らも見てるんで。
ただ、どうやってこのメンバーで勝負するかしか考えてなかったし、ジュニアを連れて行ってたんで、悠もそうですけど日本で一番やったから調子乗ってますよね。現地に行くと今のバイクじゃ走れませんってなるんです。じゃ、どうしたらいいんですかってなるんですよね。根本的に持ってきたバイクとポジションが合わないんです。で、なんとかスタートさせるっていう繰り返しをやってたんですよね。
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今の竹之内さんのジオメトリであったり、全体的なセッティングは石垣さんのアドバイスを基に作られるんですか。
I
アドバイスというより、僕のその時に思った感性で。
T
僕の意見は入ってないんですよね。
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そうなんですか。それは面白いですね。
T
僕1回だけ文句言ったことあるんですけど、文句言って作ってもらったバイクが一番進まなくて。
I
一回思い通りに作ってやると。な?進まへんやろ?と。
T
乗りにくいです。僕らは体をどうやって使ったら速いんかっていうのをやっぱり筋肉的な部分であったり、走りやすいどうこうになるんですけど、社長は自転車はどうあるべきかから入ってはるんで、だから何も口出せないですよね。図面とかも最近はお客さんに話したりもするから、理解しとかなあかんのかなと思うんですけど、未だにハンガー下りとかも知らないですし、よくわかってないです。
実際やってへん人間が、自転車をずっと作っている人にそんな話できないなとは思いました。
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カンチブレーキからディスクに移行する時に、構造的な部分で変えられたのは。
I
僕は元々ディスク派やったので。マウンテンバイクの時もいち早くディスクブレーキにやったりして、もっというと辻浦がU23の最後の年にディスクで走ってるんですよ。
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失格になりましたよね(笑)
I
そうですね(笑) 幻の19番。
構造的にディスクブレーキのほうがいいに決まってるじゃないですか。なんでずっとリムブレーキ にこだわるんやろうというのが、僕の中でずっとあったんで。なので、そこに移行するのは全く難しくなかったですよ、イメージができていたので。ただ悠がいつ変えるのか、ルールがいつ変わるのかだけですよね。だからバッて切り替えました。
T
ディスクロードも3年前の青森であった全日本ロードで、誰も投入してなかったんで、投入予定だったんですけど、1~2週間前にディスク禁止って言われて急いでキャリパーロード作ったんですよ。ディクスで走って目立とうと思ったんですけど。
I
車連にずっと聞いてて、わからないですってずっと言われてて、最後にダメって言われて、ロードないやんけって。(笑)
T
1台キャリパーロード作ってもらって。
I
この子の凄いところは、ディスク用にするとそのためにいろいろ素材を変えるんですけど、それがわかるんですよね。剛性を上げないとディスクブレーキがフレームを潰しに来るんで。もっと言うとブレーキが効かなくなるんでね。そうゆうところで材料を強くしないといけない。そうすると当然乗る人にしたら、なんじゃこれってなってくるんですよね。そういうところに敏感ってのはありますね。
T
感覚的な話なんで何言ってるか分からんこともあって、これは縦に魚のように動くとか僕も言っちゃうんですよ。何か分からんけど、こういうイメージで作ってはるんですか社長?みたいな。
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竹之内選手からこれからレースを始める方に向けて、シクロクロスを始める中で最低限必要なものはなんですか。
T
楽しむ気持ち(笑)
機材としては壊れない自転車じゃないですか、本当の意味で。初めの頃ってヘタッぴなんでいっぱいコケはるでしょうし、変にカーボンの軽いのとかイキがって買ってもね。ヨーロッパでも、一回ある選手が某大手のバイクで世界選手権トップくらいでスタートして、ギャップに入ったらいきなりフレームが折れてコケて、ムカついてバイク投げて次の年にはそのチームそのものを辞めてましたもんね。それが原因かわからないですけど。その年、彼は調子良かったんで、悔しそうでした。まぁそんなエピソードもあるので、だから壊れない、自分の気に入ったブランドのお気に入りが一番いいと思います。あと何か好きなポイントがあるといいですよね。色でもいいですし、気持ちが上がる自転車で。デュレイラーハンガーはどこの自転車もすぐ飛ぶんで、そういうのがしっかり考えられたフレームとか。
世界で活躍される竹之内選手ならではの想いや、東洋フレームのモノづくりへの姿勢など、貴重なお話を聞くことができました。
次回は、竹之内選手が使用するチャレンジタイヤについてのお話を伺っていきたいと思います。プロ選手ならではの目線で正直に話していただきましたので、是非ご覧ください!
※1 Ritcheyの創始者でゲイリー・フィッシャー、ジョー・ブリーズと共にMTBの創始者の一人。
※2 リッチー製バイクで1996年MTB世界選手権で金、同年アトランタオリンピックのXCレースで銀メダルを獲得したスイス人選手。
※3 現在チャレンジタイヤのヘッドオフィスで経営や開発に携わる人物。